【2001香港ヴァーズ】黄金旅程の完結 ステイゴールド悲願のG1制覇

 

三冠馬オルフェーヴル、二冠馬ゴールドシップなど、ステマ配合で数々のG1、重賞勝利馬を輩出しているステイゴールドですが、現役中はGI競走で2着4回を記録するなど、そのシルバーコレクターぶりから勝利に一歩及ばない「善戦ホース」として人気を博していました。

しかし、なぜか海外遠征は2戦2勝と相性が良く、 初の遠征となったドバイシーマクラシック(当時G2)ではジャパンカップで先着を許したファンタスティックライトをゴール前で鮮やかにハナ差差し切り快勝。 引退レースとなった香港ヴァーズで、見事G1初制覇を成し遂げ、有終の美を飾りました。

大種牡馬サンデーサイレンスを父に持ち、母は名馬・サッカーボーイの全妹にあたるゴールデンサッシュという良血馬でありながら、サンデーサイレンスと母の父ディクタス両者からよりによって気性の悪さを受け継いでしまい、他馬に乗りかかろうとする、噛み付きに行く、厩務員に蹴りを飛ばす、鞍上の熊沢重文を振り落とそうとするなどなど素行の悪さは折り紙つき。調教師である池江泰郎氏の息子である現調教師の池江泰寿氏曰く「肉やったら食うんじゃないか」と言わしめるほど。ステイゴールド担当厩務員だった山元重治氏は「とにかく自分が一番エラいと思ってる。自分の中のマイルールを絶対曲げようとしない」と評しており、この俺様系の気性の悪さはご子息のゴールドシップにも受け継がれているようですね。

1996年12月1日、阪神開催の新馬戦で遅いデビュー戦を3着で終えた後、折り返しの新馬戦で最下位と惨敗。この頃は骨膜炎を発症した影響があったようですね。 復帰後のダート戦では砂をかぶるのを嫌がり最終コーナーで逸走。競走中止の憂き目に遭いました。 この辺りは流石オルフェーブルの父といったところです。

芝に戻ってから徐々に調子を取り戻し、僚馬ブレーブテンダーのNHKマイルCに併せて帯同した東京の未勝利戦でようやく初勝利を挙げ、 続く500万条件のすいれん賞で2連勝を飾りました。一戦おいて夏の900万条件の阿寒湖特別で3勝目を挙げ弾みをつけると、牡馬クラシック最後の一冠・菊花賞に上がり馬の一角として挑むことになります。 しかし、ここから「主な勝ち鞍:阿寒湖特別」という状況が2年8ヶ月も続くことになるのです。

菊花賞はマチカネフクキタルの8着といいところがなく敗れ、その後は97年冬から98年春にかけて自己条件と格上挑戦で4戦し、4戦連続2着という結果。しかし、G3のダイヤモンドステークスでの2着があったため、オープン馬へと昇格し本格的に古馬G1戦線へと駒を進めていきます。

その年の天皇賞(春)では、今まで無冠に終わっていたメジロブライトの悲願のG1制覇の影でステイゴールドはひっそりと2着。春のグランプリ・宝塚記念では本格化した狂気の逃げ馬・サイレンススズカにあと一歩まで詰め寄り、前年度代表馬エアグルーヴに先着するも地味に2着。秋シーズンの天皇賞(秋)では、サイレンススズカがまさかの故障発生で予後不良となり、伏兵オフサイドトラップが戴冠する。ステイゴールドはその陰で2着。このG1レースを3戦連続2着により「シルバーコレクター」の異名が定着することになります。

1999年に入ると金鯱賞、鳴尾記念、宝塚記念と3戦連続3着など3着が増えますが、この年の天皇賞(秋)では4度目のG12着をゲットしています。鞍上の熊沢騎手を始め、ステイゴールド陣営はなんとか勝利をもぎ取ろうと試行錯誤を続けていましたが、この頃にはステイゴールドはその惜敗続きの成績からナイスネイチャ・ロイスアンドロイスの系譜のイマイチ系人気馬となっていました。

2000年も緒戦からGIIを2・3・2着と、陣営の努力も虚しくいつも通りの滑り出し。天皇賞(春)で4着となった後、次戦の目黒記念で陣営は苦渋の決断を行います。主戦の熊沢騎手に替えて、以前一度だけ騎乗していた(抽選で騎手が選ばれるワールドスーパージョッキーズシリーズで騎乗)武豊騎手を代役として迎え入れることになります。

武豊は後に、これまでの主戦であった熊沢を慮って複雑な心境であったと語っていましたが、レースでは雨の重馬場の中を後方待機で道中を進み、最後の直線で超良血馬マチカネキンノホシを捉えて見事勝利、その起用に応えて見せました。ついにステイゴールドが勝利するルする瞬間を目撃したファンからは、土曜日開催・雨天下のG2競走ながら、東京競馬場のスタンドからはG1に匹敵する歓声と拍手が送られ、レースを中継していた中京競馬場でも拍手を送るファンが絶えなかったそうです。前回の勝利から実にに26戦ぶり、時間にして約2年と8カ月ぶりの勝利を挙げ、「主な勝ち鞍:阿寒湖特別」からの脱却を果たしました。

しかし、秋シーズンは度重なる鞍上変更もあってか不振に陥ります。翌2001年、明け7歳となっとステイゴールドはなおも現役続行、初戦となる日経新春杯を勝利し重賞2勝目を挙げ、勢いに乗って海外遠征、ドバイシーマクラシックに参戦します。このレースで再度武豊を鞍上に、当時中長距離では最強と目されていたファンタスティックライトをゴール寸前で僅かハナ差交わすという大金星を挙げるも、シーマクラシックはこの年までG2であったため、念願のG1制覇とはあいなりませんでした。

帰国後は、この勢いでG1制覇という期待が高まりましたが、宝塚記念は4着、秋の京都大賞典はテイエムオペラオー・ナリタトップロードを相手に1位入選するも直線で左に寄れる癖をだし、斜行のため失格となります(その影響でナリタトップロード渡辺騎手は落馬)。天皇賞(秋)でも直線で左に行きたがり惨敗。ジャパンカップでは斜行対策を行ったものの4着に終わりました。

通算49戦を終え、50戦目の引退レースとして陣営が選択したのは、2度めの海外遠征となる香港国際競走の一つである香港ヴァーズ。レースはデットーリ鞍上のエクラールが後続を変幻自在のペースで後続を引き離す。ステイゴールド鞍上の武豊は、高速化した流れに慌てることなく中団にとどまり、エクラールに大きなリードを許したまま直線を迎えます。直線で馬群を抜け出し2番手に上がるも、残り200メートルの地点では逃げるエクラールから約5馬身の差があり、しかもステイゴールドは普段とは逆の右側に刺さり始めます。武豊ががすかさず左側の手綱を締め直すとステイゴールドは態勢を立て直し、後に武豊が「羽が生えたようだった」と振り返る凄まじい末脚でエクラールを急追、ゴール直前でアタマ差差しきります。5年に渡る現役生活、ラストレースとなる50戦目の節目での悲願のG1制覇は、まさに絵に描いたようなドラマチックなシーンとなりました。

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